2025.03.07
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【連載・第3回】賀数仁然さんと巡る沖縄の世界遺産~築城の天才・護佐丸が築いた「座喜味城跡」〜

沖縄には世界に誇る9つの世界遺産があり、約450年にわたり築き上げられた琉球王国の歴史背景や文化に触れることができます。沖縄県民にはおなじみの琉球歴史家・賀数 仁然(かかず ひとさ)さんガイドのもと、沖縄の世界遺産を巡る連載シリーズ!首里城復興に向けて、全8回に渡りお届けします。連載・第3回目は、築城の天才・護佐丸(ごさまる)が建てた読谷村の「座喜味城跡(ざきみじょうあと)」を訪れました。

 

第1回記事 斎場御嶽」巡り はコチラ

第2回記事 「今帰仁城跡巡り はコチラ

不可能を可能に!驚きの技術で造られた「座喜味城」

標高120メートルほどの高台に立つ座喜味城。戦乱の世であった三山時代、「北山陥落」で活躍を見せ、琉球統一に大きく貢献した名将・護佐丸によって1420年頃に築かれた城です。

小規模ながら、城壁の石積みの精巧さと美しさは沖縄の城の中でも随一と称される座喜味城の見どころを、仁然さんならではの視点を踏まえてご案内します!

今回の案内人

賀数 仁然(かかず ひとさ)さん

那覇市出身。琉球大学非常勤講師を経て沖縄大学地域研究所特別研究員。
沖縄の歴史文化をエンタメとして発信。琉球歴史ドラマ、ドキュメンタリー、映画、舞台などの脚本・監修など幅広く手掛ける。所長を勤める「クボウグランデ」の歴史ツアーも好評。著書『さきがけ!歴男塾』の最新・4巻が発売中!

1416年、北山陥落で活躍した護佐丸。当時は恩納村・山田城の按司(城主)でした。※按司(あじ)…各地域で政治的支配を行っていたリーダー。

三山統一に向けて難攻不落の今帰仁城を落とした後、尚巴志王にその功績が認められて座喜味の土地をもらいます。

新たに城を造ることになった護佐丸は、きっと唖然としたはず。
なぜなら、ここにはグスクを造れない大きな理由があったからです…!

 

これまでのグスクの造り方は「琉球石灰岩の岩盤の山の上部分を削って平らにし、余った石を周りに積み上げていく」というのが一般的でした。

そして、ここ座喜味の土壌はグニャグニャで柔らかい“赤土(あかつち)”。柔らかい赤土の上に石を積んでいくと、地盤が弱く崩れてしまいます。今まで通りのグスクの造り方が通用しないのです!

護佐丸のすごいところは、城を建てるのが不可能なはずの環境にも関わらず、石積みの工夫によって強度と曲線美を備えた美しい城壁を築き上げたこと!

地面の下を1メートルほど掘って、基礎工事をしていたことも戦後の調査で分かっています。

座喜味城の造り方は、これまでのグスクと全く発想が違います。長く続く城壁は、真っ直ぐ造った方が楽なはずなのに、あえてグネグネとうねらせています。

それはなぜか?

真っ直ぐな城壁で直角に囲むより、うねらせたアーチ型の城壁を張り巡らせる方が強度がものすごく上がる、ということに護佐丸は気付いていたんですね。

石を円弧の形状に並べて造る「立面アーチ構造」は、荷重を圧縮力で支える仕組みです。 曲げるとパキっと折れる棒でも、アーチ状なら圧縮だけになるので折れませんよね。ちなみに、これは1963年にできた「黒部ダム」と同じ技術です!

護佐丸が“築城の天才”と称されるのは、この時代にアーチ構造の強度を見出だしていたという点につきます

■見どころ①入り口の「アーチ門」

こちらは琉球最古の「アーチ門。楕円(だえん)型のアーチ門は、空間となる中心部を想定し、バランスを計算して造らなければいけません。当時、数学を使えたかどうかは定かではありませんが、城壁全体のアーチ構造もしかり、ここからも築城へのこだわりが見て取れます。

ここのポイントは、敵陣が襲来し“扉を突破される場合”を想定し、わざわざ階段を三段付けている点です。

丸太で突撃された際、地面が平らの場合は力を直で受けて扉を突破されてしまう可能性がありますが、手前に段差があることで勢いを失わせることができます。たった三段の階段があるのとないのとで、防御性がかなり変わってくるのです。護佐丸はそこに気付き、あえて手間をかけて段差を付けたのですね。

<仁然さん> 護佐丸のグスク造りにかける思いは半端ではなく、とにかく頭の中は軍事でいっぱい。「力こそ正義!」といったタイプで、貿易や商工ごとにはあまり関心がなかったようですね。

<知ってた?RYUKYU豆知識>

“崩れにくい石の積み方”も開発!

築城技術が詰まった座喜味城。石の積み方にもご注目を!
2種類の石積みで構成されており、当時の試行錯誤が見てうかがえます。

●「布積み」(写真左)…今帰仁城などこれまでは石を割って組んでいく「野面(のづら)積み」が主流だったのに対し、四角く加工した石をはめ込んでいく布積みを採用。強度はアップしたものの、軟弱な地盤のため重さに耐え切れず失敗を繰り返したはず。

●「相方(あいかた)積み」(写真右)石をサッカーボールのような多面体に加工して積み上げることで、隣り合う石が増え、一個抜いただけでは崩れない強固な積み方。相方積みは、のちのち首里城など琉球グスクのスタンダードになっていく造り方です。当時にこの技術を発明した護佐丸、さすがです!

潜入すると出られない!?トラップだらけの城内

さあ、どうにか入り口を突破して敵陣が城の中に入れたとします。
そうすると、ぐるりと囲まれた城壁の上から弓矢や石が飛んできて、360度全方向から狙われてしまいます!かなり巧妙に考えられた要塞(ようさい)です。(※写真で仁然さんが城兵を再現中)

真っ直ぐの城壁だと守備範囲は180度のみですが、城壁をうねらせることで、いろんな方向から弓を打ち狙うことができます。

アメリカのペンタゴン(アメリカ国防総省本部)や北海道の五稜郭が「多角形」構造なのも、防御性の高さから。のちの近代建築でも取り入れられる考え方を、護佐丸は先駆けて実践していたことになります。

<仁然さん> 弱点を逆手にとり長所に変えた名城・座喜味城。ここまで緻密に造っておきながら、幸か不幸(?)か、ここでは一度も内戦は起きていません。

■見どころ②「だましの廓(くるわ)」

四方八方から弓矢で攻撃されて焦る敵軍。目の前には、その先に護佐丸が居るであろう「正門」がありますが、突破するには10段以上の階段をのぼり切らないといけません…。

左手になにやら脇道を発見し、逃げるように進みます。傾斜になっていて、勢いづいた敵軍の行く手は…なんと、行き止まり!袋小路タイプのトラップ・通称「だましの廓(くるわ)」です。ここで、8割方の敵軍を撃退することができるでしょう。

入り口を突破する際、苦戦を強いられた階段トラップ。また、さらに長い階段を見ると躊躇(ちゅうちょ)してしまう人間心理を利用し、この罠(わな)に向かうように仕向けています。小さなグスクですが、細部まで緻密に計算され尽くしています!

<知ってた?RYUKYU豆知識>

泣く子も黙る、護佐丸伝説

座喜味城を造った年代詳細は不明ですが、おそらく4年ほどで造り上げたのではとみられており、この量の石積みや基礎工事をやるには、専門家の試算によると1000人くらいの労働力が必要だったとされています。

当時は、石工や作業人員として与論島や慶良間諸島などの島々から強制労働で連れてこられていたと言われており、島の人たちが暮らしたと見られる村もグスク近くにあったと伝わります。

一部の離島では「護佐丸チューンドー(来るぞ)」(泣いてうるさくしたら、護佐丸に連れて行かれるよ)という方言が伝承されているほど、鬼のような存在として恐れられていた護佐丸。

<仁然さん> これは持論ですが、当時ここまでの人員を動かす影響力を持っていたのは護佐丸ではなく尚巴志だったのでは?と思います。
おそらく尚巴志にとって、軍事の才能に長けた護佐丸は脅威的な存在となり、あえて城を造るのに適さない座喜味の土地を与えて勢力を抑え込もうとしたのでは…とも考えられます。

■見どころ③「正殿の礎石」

ここは正殿があった「一の核(いちのかく)」。建物の土台となる「基壇(きだん)」が組まれ、柱がのる礎石(そせき)の跡があります。首里城なども同様の造りで、大型のグスクではベーシックな造り方です。

護佐丸は1440年頃には中城城に引っ越ししており、座喜味城にはほんの10数年しか住まなかったと言われていますが、正殿があるグスクの頂上からは、残波岬や遠くは慶良間諸島まで望むことができます。きっと護佐丸は、日々東シナ海を一望して見張り、城を守り抜いてきたことでしょう。

<仁然さん> 完璧な座喜味城ですが、一つだけ大きな弱点があります!なんだと思いますか?
…それは、「水源がない」こと!
生活するために水場は必須なので、通常のグスクは川など水源の近くに建てます。ところが、座喜味城には周りに水源がありません。無敵と思わせておいて、戦が起こり長期戦になると水が無くなって一巻の終わりです!
鉄壁の護佐丸にも唯一の弱点アリ!“天才にも穴がある”とは、このことですね!

次回・第4回「中城城 編」に続きます。
護佐丸の行く末はどうなるのか…!?乞うご期待!!

※琉球史や神話においては諸説ありますが、本記事の内容は琉球王朝の正史『中山世鑑(ちゅうざんせいかん)』1650年、1840年の「聞得大君加那志様御新下日記(きこえおおきみがなしさまおあらおりにっき)」といった書物に基づいています。
史跡巡りは、日除けと虫除け、熱中症対策を万全に、歩きやすい服装で行ってくださいね。

〈施設情報〉

座喜味城跡(ざきみじょうあと)
[住所] 〒904-0301 沖縄県読谷村座喜味708番地6
[定休日] なし
[駐車場] あり
[入場料] なし

世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアム
[住所] 〒904-0301 沖縄県読谷村座喜味708番地6
[電話番号] 098-958-3141
[営業時間] 9:00~18:00(入館は17:30まで)
[休館日] 水、年末年始など ※その他の休館日についてはホームページでご確認ください。
[駐車場] あり
[入場料] 大高校生以上 500円、65歳以上 400円、小中学生 300円、幼児 無料 ※読谷村外料金のため、村内の方は異なります。
[クレジットカード] 使用不可
[電子マネー] QRコード決済のみ使用可
[HP、SNS] ホームページInstagramFacebook

お支払いには、便利でおトクなau PAYがご利用になれます! 

<賀数仁然さんと巡る沖縄の世界遺産>

首里城復興応援プロジェクト「SYURI NO UTA」

沖縄セルラー電話(株)では首里城復興応援ソング「SYURI NO UTA」プロジェクトをサポートしています。

本プロジェクトは、2019年に沖縄にゆかりのあるアーティストが集結し、首里城復興を願う大人から子どもまでみんなが⼝ずさむような、素敵な歌をつくりたいという想いから始まりました。

大切なのは、忘れない心。
そして、伝え続ける勇気。
沖縄県内のみならず、日本中・世界中の方へ「SYURI NO UTA」と首里城復興への想いが届くことを願っています。

「SYURI NO UTA」特設ページ
詳しくはコチラ

 

企画・編集:Laifue編集部
文:花城 綾子
撮影:小橋川 恵里奈

 

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