[連載・第6回]賀数仁然さんと巡る沖縄の世界遺産~琉球の美学が詰まった庭園「識名園」~
沖縄には世界に誇る9つの世界遺産があり、約450年にわたり築き上げられた琉球王国の歴史背景や文化に触れることができます。おなじみの琉球歴史家・賀数 仁然(かかず ひとさ)さんガイドのもと沖縄の世界遺産を巡る連載シリーズ!2026年秋の首里城正殿復興に向けて、全8回に渡りお届けします。
第6回は、琉球王朝最大の別邸「識名園(しきなえん)」を散策。今回も仁然さんならではの視点と豆知識を交えながら、琉球王家の暮らしや庭園に込められた思想をひも解いていきます。
今回の案内人

賀数 仁然(かかず ひとさ)さん
那覇市出身。琉球大学非常勤講師を経て沖縄大学地域研究所特別研究員。
沖縄の歴史文化をエンタメとして発信。琉球歴史ドラマ、ドキュメンタリー、映画、舞台などの脚本・監修など幅広く手掛ける。所長を勤める「クボウグランデ」の歴史ツアーも好評。著書『さきがけ!歴男塾』の最新・4巻が発売中!
当時の外交を支えた、美しき迎賓庭園「識名園」

1799年に造られた識名園は、琉球王家最大の別邸。
外国からの来賓を招いて宴を開く、いわば“カジュアルなおもてなしの場”で、正式な儀式は首里城で行われていました。
<仁然さん>普段は王族が静養に訪れる別荘のような場所で、現在の皇室でいう葉山御用邸のような存在ですね。
■穴場な見どころ:正門

見過ごしがちですが、入口を進んで右手にあるのが「正門」。国王や冊封使などの来賓はここから入ります。 王族は輿(こし)に乗って到着し、合図を受けた門番が開門。通過後はすぐに閉められるため、普段はほとんど閉ざされています。
※正門は通常閉鎖されています。今回は撮影のため特別に開けていただきました。
■穴場な見どころ:S字カーブの道の先に待つ絶景とは…?

園内の道がS字に曲がっている理由は二つあると言われています。
一つは「魔物は直進できない」という琉球的な思想。もう一つは、ゲストを楽しませるための“演出”です。
<仁然さん>道は石敷きで凹凸があるため、識名園を訪れる際、ヒールは避けてくださいね。
石の間には「イシグー」と呼ばれる砕石を詰めて突き固める、琉球独自の舗装が施されています。こうした手間のかかる造りは、VIPを迎える場所ならではです。

鬱蒼とした森を抜けると、視界がパァッと一気に開け、美しい池が広がります。これは中国の「神仙(しんせん)思想/庭園=仙人が住む異世界」に基づいた演出法。
「壺中天(こちゅうてん)/壺の中に仙人が住む異世界が広がり、時間を忘れて楽しむという思想」という異世界観も表現されています。
<仁然さん>中心は「心字池(しんじいけ)」という池で、その周囲を巡り植物を楽しむ、回遊式庭園になっています。これは日本の様式で、中国の思想と日本の形式が融合した「ハイブリッド型庭園」なんです!
■育徳泉(いくとくせん)

「育徳泉(いくとくせん)」は、識名園を築いた第二尚氏王朝第15代国王・「尚温(しょうおん)王」にまつわる井戸です。
<仁然さん>若くして即位し、志半ばで亡くなった王でしたが、その努力は冊封使にも伝わっていました。私の、推しの王様です!! 「このきれいな泉のように、澄んだ心でこれからも徳を育んでほしい」という願いが込められ、「育徳泉」と名付けられたのです。
■穴場な見どころ:ここでしか見られない、希少な「ノリ」

「育徳泉」の井泉内には、「シマチスジノリ」という紅藻類が今も生息しています。見た目はもずくに似ており、清らかな水源にしか育たない貴重な存在で、1924年に国の天然記念物に指定されました。
<仁然さん>きれいな水源にしか生えず、那覇で見られるのはここだけ! うちのばあちゃん曰く、昔は食用にもされていて、首里の金城町では身近な存在だったそう。戦後はほとんど見られなくなったようです。
<知ってた?RYUKYU豆知識> 学を広めた若き王「尚温」
尚温王は、官僚の養成機関として「国学」を創設しました。現在の首里高校の前身にあたります。 首里高校の標語に掲げられている「海邦養秀(かいほうようしゅう)」という言葉も、尚温が贈ったものです。 「海に囲まれた琉球にとって、人材こそが宝。優れた人を育てる」という考えのもと、身分にとらわれない人材育成を重視しました。 1879年に沖縄県になってからは沖縄県師範学校となり、教師養成の場として受け継がれていきます。 首里高校のOB会「養秀会」という名称にも、「海邦養秀」の精神が表れています。 西洋の影響が迫る中、若い力で国を支えようとした尚温王。志半ばで亡くなってしまいましたが、その思想は今なお受け継がれています。
琉球建築の美が凝縮された邸宅「御殿(うどぅん)」

「御殿(うどぅん)」は、王家や来賓をもてなすための邸宅。
往時の上級階級にのみ許された格式ある造りで、裕福な家にのみ見られる「基壇」など琉球建築ならではの工夫と技術が随所に見られます。

御殿は全15室、総面積は約160坪と、王族ならではの規模を誇ります。写真奥の「一番座」は、冊封使などの客人をもてなすための客間です。
<仁然さん>国王の座に設けられる段差「アギウタダン」も特徴の一つ。首里城の書院にも見られ、不自然なほど高く造られているんですよ。
■一番座

「一番座」は、庭園を一望できる特等席。 ここで客人にはタバコやお酒が振舞われ、音楽とともに景色を楽しむ、もてなしの客間でした。
<仁然さん>座ってみるとわかるのですが、柱が額縁のような役割を果たし、風景が一枚の絵のように見えるんです。当時の国王の想いに思いをはせながら、庭を眺めてみてください。
※一番座・二番座などの畳の部屋は、文化財保護のため立ち入りはできません。見学は外廊下から可能です。
<知ってた?RYUKYU豆知識> 識名園の香り=歯医者さんの香り⁉

識名園には一般の村人は入れませんが、国王や冊封使の来訪はすぐにわかったといいます。 その理由が「丁子(クローブ)」の香り。国王が訪れる際には、「丁子風炉(ちょうじぶろ)」で香を炊き、その香りが、かつて識名村と呼ばれたこの地域全体まで広がっていたのです。
<仁然さん>丁子は鎮痛作用があり、今でも薬として使われています。“歯医者さんの香り”といえば、イメージしやすいかもしれません。
■台所(ぐでーじゅ)

おもてなしのお屋敷なので、台所の設備も充実しています。 中央の大きな板はまな板で、複数の料理人が同時に作業できる造り。下は開閉式で、くずや皮を落として水で流し、溝を通して生ゴミを外へ排出する仕組みになっています。すごくよくできていますよね! 奥には、鉄製の大型鍋「シンメーナービ」用のかまども設置。火や煙を逃がすため、台所部分だけ天井がないのも特徴です。
<仁然さん>客人に温かい料理や飲み物をすぐ出せるよう、台所と客間の間には「御茶湯御酒羹所(おちゃゆおさけあつものところ)」という保温スペースが設けられていました。冬場は、泡盛をお湯割りのようにして提供していたそうですよ。
<知ってた?RYUKYU豆知識> 国王を担げるのはイケメン限定⁉

■駕籠屋(かごや)
国王の神輿を担ぐ担ぎ手が休憩する小屋。優れた担ぎ手は、国王の体調まで感じ取れるとも言われていたそう!
<仁然さん>担ぎ手は屈強な体であることに加え、“見た目がかっこいいこと”も条件でした。国王の行列を美しく見せるためです。当時、担ぎ手になることは大きなステータスでもあったんですね。
おもてなし精神で生き抜いた琉球の心

■中国風のふたつの石橋
庭園にはふたつの橋があります。ひとつは「太湖石(たいこせき)風」の橋。中国で珍重される太湖石を模し、琉球石灰岩で造られています。多くの穴があいた形状は「気が集まる縁起の良い石」とされ、中国的な美意識を感じさせます。
もうひとつは、中国に実在する橋を模したミニチュア版。いずれも小ぶりで、どこか愛嬌を感じさせる造りです。日本の回遊式庭園の中に、中国文化の要素を取り入れた、ハイブリッドな演出となっています。

■六角堂とアーチ橋
この橋は小規模ながら完成度が高く、無名の石工たちが細部まで意匠を凝らして造り上げたものです。その芸術性は、美術評論家の柳 宗悦(やなぎ むねよし)にも高く評価されています。
<仁然さん>識名園の象徴でもある六角堂は、実は戦前までは四角堂でした。戦後に尚家によって現在の六角形に改修されていますが、その理由ははっきりしていません!
<知ってた?RYUKYU豆知識> 見晴らし抜群の「観耕台」は、交渉の舞台

国場、上間、南風原方面を見渡せる見晴らしのよい場所。かつては一面に田んぼが広がり、高台でありながら海が見えない景観が、かえって琉球の広がりを感じさせたといいます。
夕暮れには、田んぼの水面にオレンジ色の光が映り込み、鏡のように美しく輝いたそう。
この風景に心を打たれた冊封使・林鴻年(りんこうねん)は、「国王に徳があるからこそ、民が農耕に励み、美しい国土が広がっている」と感嘆し、この場所を「観耕台(かんこうだい)」と名付けました。
<仁然さん>冊封使はエリートでありながら地方出身者も多いため、あえてここの東屋まで案内し、美しい景色を見せ、故郷を思い出しホームシックにさせるような演出が行われていました。
酒でもてなし、気持ちがほぐれた絶妙なタイミングで、「ところでご相談している件なんですけど…」と外交の交渉に入ります!その流れは、すべて計算されたものなんです。
琉球の文化の中心にあるのは「おもてなしの心」。芸能や音楽、紅型などの染色技術も、すべてそこから発展してきました。今の沖縄に根付く文化の原点でもあります。 琉球は武力ではなく、貿易と平和外交によって成り立ってきた国。そのおもてなしこそが、国を支える生命線だったのです。
■穴場な見どころ:空手の重鎮が住み込みで働いていた!「管理人の部屋」

ここは管理人が暮らしていた建物「番屋」。住み込みで管理を担っていたのは、著名な空手家・松村宗棍(まつむら そうこん)です。
<仁然さん>松村氏がここで管理人をしていたことはあまり知られていませんが、多くの流派をたどると彼に行き着くため、世界中の空手家が知ればこぞって訪れるはず!空手の研究者にとっては、御殿以上に価値のあるスポットとも言えるでしょう。

<仁然さん>琉球王国の終焉が近づく時代に造られた識名園には、どこか切なさとともに、最後の華やかさが感じられます。黄昏時のような、“切なくていい”美しさが魅力なんです。
御殿の格式ある造りや、中国と日本のハイブリッド型庭園など、訪れる人を楽しませる工夫が随所に見られます。その魅力を体感しに、ぜひ足を運んでみてください!
次回・第7回は、首里の「玉陵(たまうどぅん)」と「園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)」を訪れます。仁然さんの語りで、その歴史と魅力をひも解いていきます。 次回も、どうぞお楽しみに。
※琉球史や神話においては所説ありますが、本記事の内容は琉球王朝の歴史書『球陽』といった書物に基づいています。
史跡巡りは、日除けと虫除け、熱中症対策を万全に、歩きやすい服装で行ってくださいね。
〈施設情報〉
識名園
[住所] 那覇市字真地421-7
[観覧時間]【4/1~9/30】9:00~18:00(17:30最終受付)
【10/1~3/31】9:00~17:30(17:00最終受付)
[定休日] 水曜
[駐車場] あり
[観覧料]大人 400円、 小人(中学生以下) 200円、幼児(未就学児)無料 *現金のみ
[HP] ホームページ
*管理事務所隣の売店では便利でおトクなau PAYがご利用いただけます!
<賀数仁然さんと巡る沖縄の世界遺産>
首里城復興応援プロジェクト「SYURI NO UTA」

沖縄セルラー電話(株)では首里城復興応援ソング「SYURI NO UTA」プロジェクトをサポートしています。
本プロジェクトは、2019年に沖縄にゆかりのあるアーティストが集結し、首里城復興を願う大人から子どもまでみんなが⼝ずさむような、素敵な歌をつくりたいという想いから始まりました。
大切なのは、忘れない心。
そして、伝え続ける勇気。
沖縄県内のみならず、日本中・世界中の方へ「SYURI NO UTA」と首里城復興への想いが届くことを願っています。
「SYURI NO UTA」特設ページ
詳しくはコチラ!
企画・編集:Laifue編集部
文:花城 綾子
撮影:大下 清志
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